部屋の片付けがきっかけになる
はい、どーもー。tomokick(ともきっく)です。
頑張っていかなあかんなー、いうとるんですけども。
今日は、ミニマリストになるきっかけについて。
ミニマリスト、シンプルライフ系の書籍は、だいたい「生活・暮らし」カテゴリーに置いてありますよね。
一番わかりやすいのは、部屋を片付ける、ということ。
誰しもが興味を持つ話なんだと思います。
捨て変態に、俺はなる!
そんなに汚部屋っていうほどでもないのに、ガンガン物を捨てて減らす時期っていうのがあるんですよ。
スイッチがパーンッと入って、何でもかんでも捨ててしまう。
私の場合、ベッド、ソファ、スタッキングシェルフという、大物を一気に手放しました。
今では笑い話ですが、冬に買った羽毛布団を春になったら捨てて、また次の冬に買い直すという荒技を繰り広げたこともあります。
テレビは2回買い直しています。まじ、何してんの?って感じ。
ここまで来たら変態ですね、捨て変態。
これも捨てられる、あれも捨てられるって、捨てることしか考えてなかった。
冬はモノがないと寒い
カーテンも捨てちゃうもんだから、冬は寒いんですよ。
都内のマンション1Kの一室でも、一人でいるととにかく冷える。
フローリングは冷えるけど、カーペットとかラグは敷きたくない。
そういえば、ラグも捨てたな…。
まぁ、平日昼間は会社に行っているし、家帰ってきてもお風呂入って寝るだけだからいいんだけど。
にしても、丁寧な暮らしからはほど遠いと思う、ミニマリストの生活は。
部屋の片付け=捨てるor引っ越す
部屋の片付けができない人は定期的に引っ越すという話を聞くんだけど、そっちのほうが大変なんじゃないかなぁと思う。
引っ越すよりも目をつぶって捨ててしまうほうがラクといえばラク。
なくすか、移動するかの違いだけど。
私は捨てるアンテナが今でもビンビンなので、なにかにつけて捨てている。
基本、ちょっとでも使わないとかいらないと感じたものはすぐにポイする。
ちなみに、今のマンションは10年住んでいるが、引っ越しの予定はない。
できれば来年の更新で引っ越したいなー。
Instagramとネットニュース
はい、どうも。tomokick(ともきっく)です。
頑張っていかなあかんなーいうとるんですけども。
2022年、何を目標にしようかなと思っていたら、あっという間に10日過ぎてしまったわけですが。
2021年もやったりやらなかったり、見たり見なかったりするものがあるんです。
情報収集という名のネットサーフィン
一応ですね、フリーライターみたいな仕事をしているわけです。
どちらかというと企画編集メインではあるのですが。
そうなると、日々どんなことが流行っているのかなーとか知っておきたいので、せっせとネットニュースを見たり、Instagramのタイムラインを追っかけたりして。
合間にスマホゲームをしたりもします。
ちなみに、私が2年ほどハマっているのが「トゥーンブラスト」というゲームでして、この年末年始に実家でテレビを見ていたらCMをやっていました。
CMやるほど儲かっているのか。
年末に「これが最後!」と初めて課金したのが、広告宣伝費として昇華されたならいいか。よくないわ。
嫉妬なんかしてないわけでもない
日本語の使い方…。否定語の否定?なにそれ。
もともと私は下世話な人間ですし、ゴシップネタは大好きなんですよ。
どうでもいい知識はゴシップネタを掘って掘って掘り下げて得ていますから。
広告業界にいたとき、先輩から
「企画のヒラメキは、検索能力があってこそ生まれる」
と教えられまして。
検索して、枝葉の情報をどれだけ集められるかで、企画のひらめきや質が変わってくるって話だそうです。しらんけど。
まぁ、情報を浴びていれば、何かしらにひっかかるので、それを掴んで広げていけばアイデアのもとになるわけですな。しらんけど。
そんなんで、情報を浴びていると、日々浴びずにはいられなくなるんですよ。
それはもう、習慣になってしまうので。
常にSNSやネットニュースを見ていて、気づいたら他のこと何もしてない!なんて日常茶飯事ですわ。
その原動力って、「嫉妬」なんじゃないかと思うわけです。
そのつながりは必要か?
なんでSNSってやるのかなぁと考えてみると、自分の知っている人が何をしているのか知りたいってだけで、なんかそれもちょっと気持ち悪い感情ではあるよね。
他人が何していようが、私には関係ないし、逆のことを思われていたら嫌だなぁ、と。ほっといてほしいわ。
他人のことより自分のことって思っても、自分が大したことないからその穴埋めに他人に干渉しちゃうんだな、きっと。
これはもう、自分で矯正していかないと、だんだん自分を見なくなっていくと思ったので、年明けからSNSとネットニュースを見るのをやめました。
あ、Twitterだけは見ている。
基本、ニュースもTwitterに流れてくるものだけ見ている。
10日くらい経ったけれど、別に支障はないな。
感覚過敏と繊細さん
はい、どうもー。私がtomokick(ともきっく)です。
頑張っていかなあかんなーと言うとるんですけど。
HSPという言葉が一般的になってきました。
〝繊細さん〟ってやつですね。
感受性が強くて敏感な気質を持っている人のことを指します。
「私ってHSPの気質があって〜」と公言するか否か
誰しもそういう気質があると思うんですよ。
私にも少なからずあるし、それで生きづらいかって言われたら、確かにそうだなと。
HSPという言葉があることで、生きやすくなるならそれに越したことはないし。
でも公言するかどうかについては、否、と思っています。
言って楽になるなら、どんどん言えばいいけれど、言って苦しむ場合もあるんじゃないかなぁと。
しらんけど。
自分の感覚過敏なところを知る
五感の中で過敏なところはどこかな〜と考えると、私は「聴覚」「嗅覚」が敏感かもな〜という感じ。
今も部屋のエアコンのブォーって音が気になっています。
臭いも気になる。一日最低一回は部屋の換気をしたい。
他の感覚も気になるといえば気になるし、我慢できないこともある。
誰しも鈍感な人なんていなくて、どこかしら気にしてる部分はあるんじゃないかと。
それって、言わないだけで。
人に知ってもらうより、自分がよく知ること
自分が繊細であることを、人に知ってもらうよりもまず、自分がよく知ることを優先にしてみる。
これって嫌だな〜、これは好きだな〜、と感じるだけでいい。
その感覚が良いとか悪いとかはなくて、自分はそうなんだと感じるだけ。
あの人は違うから間違いとかもなくて、自分はそうなんだと感じるだけ。
人に伝えてしまうと、伝えた人の価値観や判断基準が入り込むから、ただ淡々と自分の中で感じるだけでいい。
せっかく生きているんだから、楽しく過ごしたい。
そう考えたら「これは楽しいかも〜」と思うことをやっていきたい。
つまらないな〜、なんかうまくいかないな〜ということにフォーカスをあてるのではなくて、その中でも「これは楽しいかも〜」ということを見つけていく。
感覚過敏は才能
他の人は感じないことを感じられるって、それって才能なのかもしれない。
敏感すぎて〜と思い悩むことなく、敏感すぎる私ってすご〜いって思えばいい。
ミニマリストさんたちの中でも、繊細な人が結構な割合でいる。
繊細じゃなきゃ、ミニマリストにはならないのかもね〜。
ごちゃごちゃしているのが嫌、と言う人は視覚過敏。
そんなことないけど〜と思っている人も、何かのきっかけで感覚過敏が発動して「実は敏感かも〜」ってなることも。
ミニマリストさんは、物事を白黒はっきりさせたいタイプ。
極端でグレーな部分がない。
おおらかさよりも、常にビクビク怯えている。
そんなときの魔法の言葉。
「しらんけど」
思っているほど好きではないものシリーズ
どうも、tomokick(ともきっく)です。
頑張っていかなあかんなーいうてるところなんですけど。
好きな食べ物ってありますよね。
私は「白米」が好きです。
炭水化物抜きダイエットをやっていた時期があります。
パンが食べられないのは一歩譲って許せるけれど、白米が食べられないのは辛かった。
むしろそのストレスで痩せられなかったんじゃないかと思います。
しらんけど。
好きだと思っているのは幻想かもしれない
ソバキュリっていうのを本で読んで知りました。
毎日ストゼロのロング缶を2本空けないと寝られなかった私ですが、お酒を常飲しなくなって約2年ほど経ちます。
去年2021年にアルコールを口にしたのは、記憶の限り3回ほど。
最近では、年末に乾杯のスパークリングワインを飲みました。
美味しいなぁとは思いますが、自分でお金を払って飲むまでには至りません。
人にご馳走してもらうごはんは美味しい。
お酒って味覚や嗅覚を麻痺させませんか?
満腹感とかもわからなくなってくるから、酔ってくると美味しいと思って食べてない気がする。
そう思うと、酔っていなくても、「思っているほど好きではないもの」って結構あるんです。
好物と公言していたもの
とはいえ、好きでも嫌いでもなく、どちらかというと好きというものに近いのかもしれないのですが、好物と公言していたものがあります。
その代表が「生牡蠣」。
オイスターバーに毎週通っていた時期もあり、冬になると何かにつけて生牡蠣をオーダーしていました。
一度も当たらなかったのは奇跡だけど、毎年冬に胃腸炎やら胃痙攣を起こしていたのは生牡蠣が原因だと言えなくはない。
年末に久々に食べたのですが、そうでもないなと確信しました。
基本、生臭い食べ物は幼い頃から苦手だったはず。
牡蠣も好物というほど好きではなかったはず。
それはもう、アルコールの勢いでしかなかったな、と確信の二乗。
みんな好きだから自分も好きかというと?
お正月に食べるものといえば「お餅」。
これも好きかなどうかな?と考えてみると、さほど好きではない。
今年は1つしか食べてないです、お餅。
お餅を見ると買ってしまう、みんな大好きお餅!なのかもしれないけれど、私はそうでもないです、お餅。
食べるのが面倒なんだよな、なんとなく。
あと、もしかしたら喉に詰まってあの世に行ってしまう可能性のある食べ物ってどうなのかな。
お餅食べるならその分、白米食べたい。
お汁粉もあんまり好きじゃないな、赤福は好きだけど。
好きな食べ物を自覚する
少し前まで半年ほどパン屋でアルバイトしていたのですが、それからパンって美味しいな、パン好きだなと思うようになりました。
山型パン。パンドミーっていうやつ。バケット生地のパンが好きです。
チョコチップメロンパンも好きです。
白米とパンで比べたら、白米だけど、白米がなくなってもパンがあればOK。
まぁ、思っているほど好きではないけれど、出されれば食べるというものだと楽しくない。
できれば、好きなものを食べて楽しい気分になるのがいい。
私の場合、白米が好きな食べ物なので、毎日食べられるわけです。
毎日楽しい気分です。
はじめに
どうも、tomokick(ともきっく)でございます。
もともと5年前くらいにはてなでブログを書いておりまして、
ふと思い立って記事を全消ししてアカウントも削除しました。
そして、またなんとなくブログを書いてみたいなと思って立ち上げた次第です。
自称「ミニマリスト」だった私
ブログタイトルを考えるにあたり、何を書こうかなと思ったわけです。
以前ブログを書いていたのが、ちょうどミニマリストブームだった時期で、はてなブログでミニマリストをテーマに書いている人が多かったんですね。
ブログやTwitterで仲良くなった人たちも、読んでいたブログもほとんどミニマリスト関連だったというのもあって、私もその波に乗ってミニマリストを自称しておりました。
中には書籍を出す人や雑誌の取材を受ける人、記事がバズっている人などなど、羨ましい限り。
一方私のブログはあんまりPVも伸びず、くすぶったまま。
ベッドを捨てたり、シェルフを捨てたり、家具という家具、服という服、とにかく捨てられるものは捨てて売れるものは売ったのに。なぜ。
こじらせ系ミニマリストに
そして、自称ミニマリストMAXのときに転職をしました。
もともと広告業界でプロモーションプランナーをしていたのですが、ここでもミニマリストをこじらせてしまったんですね。
「人にものを売りつける広告なんてものは、けしからん」
アホの極みです。
そのあと日本の良いものを掘り出して紹介するデザイン系の会社に転職し、最終的にはショップ店員になるので、もはやこじらせるのも一周も二周もしている感じ。
そのこじらせをぐるぐる何周もしていたら、会社に行けなくなって休職。
30代後半、もうすぐ40になるのにこの始末。
すっからかんのマンションの一室に一人、布団に丸まっているわけです。
うつになったのが夏でよかった。
人それぞれのミニマリスト価値観みたいなものがあるとしたら、私はきっと間違った方向に歩んでしまったのかもしれない。
ミニマリストというものを自分のアイデンティティの一つとして掲げた挙句、どうにもならなくなってしまったわけですな。
ものなんていらない、お金や生活も最小限に。なにもいらない。
そう思っていたら、本当に何もなくなって、空っぽに。
意味なんかないさ、暮らしがあるだけ
私は星野源さんが好きなのですが、彼の歌の歌詞に
「意味なんかないさ、暮らしがあるだけ」
というフレーズがあります。
とても好きな一節で、納得がいくというか、今の私はそう思います。
意味なんかない、そこには暮らしがあるだけ。
暮らしの中に、仕事があったり、ごはんを食べたり、いろんな出来事がある。
その出来事一つひとつに意味なんか、ない。
「ミニマリスト」というものを自分にタグ付けしたかっただけで、それさえもきっと意味なんかなくて、理由もない。
とはいえ、振り返ってみても、どこかで「ミニマリスト(笑)」と思っている自分がいるんです。
嘲笑するというのではなくて、ニヤニヤしてしまう感じ(いや、それを嘲笑というのでは…)。
厨二病の大人版っていうんですかね、そういう時期もあるよねという感じで。
ブログタイトルは何でもよかった
だからといってミニマリストについて今更追究することもないんだけれど、やっぱりどこかで気にしている自分もいて。
相変わらず部屋の片付け本や動画は人気みたいだし、以前よりは街を歩く人たちの荷物が小さくなっている感じはする。
スーツを着ている人が小さなリュックを背負っているのもよく見かけるしね。
必要最低限の生活、というのがスタンダードになりつつあるのかもしれない。
しらんけど。
ブログタイトルは何でもよかった、といいつつ、するめみたいな感じでまだ噛んでも味が出るなら「ミニマリスト」というワードをもうちょっと噛ませていただきたい、といったところでしょうか。
とまぁ、頑張っていかないかんなーいうてね。
どうぞこれからもご贔屓に。
(つづく)