「ミニマリスト」とは何だったのか?

2015年頃にブームになったミニマリストのその後について考えるブログ。しらんけど。

はじめに

どうも、tomokick(ともきっく)でございます。

もともと5年前くらいにはてなでブログを書いておりまして、

ふと思い立って記事を全消ししてアカウントも削除しました。

そして、またなんとなくブログを書いてみたいなと思って立ち上げた次第です。

自称「ミニマリスト」だった私

ブログタイトルを考えるにあたり、何を書こうかなと思ったわけです。

以前ブログを書いていたのが、ちょうどミニマリストブームだった時期で、はてなブログミニマリストをテーマに書いている人が多かったんですね。

ブログやTwitterで仲良くなった人たちも、読んでいたブログもほとんどミニマリスト関連だったというのもあって、私もその波に乗ってミニマリストを自称しておりました。

中には書籍を出す人や雑誌の取材を受ける人、記事がバズっている人などなど、羨ましい限り。

一方私のブログはあんまりPVも伸びず、くすぶったまま。

ベッドを捨てたり、シェルフを捨てたり、家具という家具、服という服、とにかく捨てられるものは捨てて売れるものは売ったのに。なぜ。

こじらせ系ミニマリスト

そして、自称ミニマリストMAXのときに転職をしました。

もともと広告業界でプロモーションプランナーをしていたのですが、ここでもミニマリストをこじらせてしまったんですね。

「人にものを売りつける広告なんてものは、けしからん」

アホの極みです。

そのあと日本の良いものを掘り出して紹介するデザイン系の会社に転職し、最終的にはショップ店員になるので、もはやこじらせるのも一周も二周もしている感じ。

そのこじらせをぐるぐる何周もしていたら、会社に行けなくなって休職。

30代後半、もうすぐ40になるのにこの始末。

すっからかんのマンションの一室に一人、布団に丸まっているわけです。

うつになったのが夏でよかった。

人それぞれのミニマリスト価値観みたいなものがあるとしたら、私はきっと間違った方向に歩んでしまったのかもしれない。

ミニマリストというものを自分のアイデンティティの一つとして掲げた挙句、どうにもならなくなってしまったわけですな。

ものなんていらない、お金や生活も最小限に。なにもいらない。

そう思っていたら、本当に何もなくなって、空っぽに。

意味なんかないさ、暮らしがあるだけ

私は星野源さんが好きなのですが、彼の歌の歌詞に

「意味なんかないさ、暮らしがあるだけ」

というフレーズがあります。

とても好きな一節で、納得がいくというか、今の私はそう思います。

意味なんかない、そこには暮らしがあるだけ。

暮らしの中に、仕事があったり、ごはんを食べたり、いろんな出来事がある。

その出来事一つひとつに意味なんか、ない。

ミニマリスト」というものを自分にタグ付けしたかっただけで、それさえもきっと意味なんかなくて、理由もない。

とはいえ、振り返ってみても、どこかで「ミニマリスト(笑)」と思っている自分がいるんです。

嘲笑するというのではなくて、ニヤニヤしてしまう感じ(いや、それを嘲笑というのでは…)。

厨二病の大人版っていうんですかね、そういう時期もあるよねという感じで。

ブログタイトルは何でもよかった

だからといってミニマリストについて今更追究することもないんだけれど、やっぱりどこかで気にしている自分もいて。

相変わらず部屋の片付け本や動画は人気みたいだし、以前よりは街を歩く人たちの荷物が小さくなっている感じはする。

スーツを着ている人が小さなリュックを背負っているのもよく見かけるしね。

必要最低限の生活、というのがスタンダードになりつつあるのかもしれない。

しらんけど。

ブログタイトルは何でもよかった、といいつつ、するめみたいな感じでまだ噛んでも味が出るなら「ミニマリスト」というワードをもうちょっと噛ませていただきたい、といったところでしょうか。

とまぁ、頑張っていかないかんなーいうてね。

どうぞこれからもご贔屓に。

(つづく)